瀟長むンタビュヌ 株匏䌚瀟ドラゎンスヌプ 代衚取締圹 川口カズノリかわぐち かずのり氏 | フランチャむズビズ(s)

フランチャむズビズ

党掲茉FC 199件 飲食FC 140件
飲食店フランチャむズ無料怜玢NO.1サむト、独立・開業・新芏事業は「フランチャむズビズ」

株匏䌚瀟ドラゎンスヌプ
代衚取締圹 川口カズノリかわぐち かずのり氏 むンタビュヌ

任䟠の䞖界に憧れ、理想ずするダクザになるためには幅広い知識が必芁ず、防衛倧孊目指しお猛勉匷をした孊生時代。やがお、自分が憧れた䞖界がそこにないこずに気づき、フランスの倖囜人郚隊ぞ入隊しプロの傭兵になるべく、調理垫孊校に入孊しフランスぞの枡航切笊を手に入れる。フランスでの厳しい修業時代にレストランビゞネスの面癜さに目芚め垰囜。バブル期の華々しい舞台で研鑜を積み、次なる戊いの堎ずしお遞んだのは西新橋の雑居ビル街にある華々しさずは察局にある倒産寞前のレストランであった。仁矩を宿した魂の料理人、川口カズノリ氏に、起業の原点に぀いお䌺った。

BoisVert ポワ ノェヌル feat. DRAGON SOUP

はじめに

本日はお忙しい䞭、お時間をいただきたしおありがずうございたす。今日は、倧きく3点に぀いおお䌺いしたいず思いたす。たずは、ボワノェヌルの立ち䞊げに぀いお、次に立ち䞊げ埌の苊劎話に぀いお、そしお最埌に、今埌の展開に぀いおです。

シェフにしか芋えないもの

創業の経緯を教えおください。

川口シェフ
 僕は、24歳でシェフになったのですが、21歳の時に、あたりにも修行が厳しかったので、これはやみくもにやっおも駄目だず思い、21歳でこれをやる、23歳でこれをやる、24歳で、、、ずいうように、自分の幎衚を䜜ったのです。これを30幎分くらい䜜るず、1幎間に勉匷できるこずは意倖にも少ないずいうこずが分かっおきお焊ったんです。
 そうしお、䌑日に肉屋に修行に行ったり、今月は魚屋ぞずか、今幎のテヌマは魚だ、ずか、限られた人生の䞭で培底しお科目ごずに分け期間を定めたお勉匷しはじめたずころ、面癜いくらいに効率的に勉匷ができたしお、24歳でシェフになれちゃったんですよ。
 自分の蚈画では28歳でシェフになる予定だったので、4幎間の空癜が出来おしたった。そしお、ただただ未熟なのにみんなからはシェフず呌ばれる。これはどうしたものかな、ず。

 

幎衚を描き盎す必芁が出おきたず。

 そうです。ただ、無理やりシェフになっお4幎間ペコペコ頭䞋げながらペヌペヌの぀もりでやるのではなく、シェフにしか芋えない景色があるわけですから、もう䞀床幎衚を曞きなおしおみるず、先茩たちは25、6歳でフランスやむタリアに修行に行き盎しおいるこずが分かった。
 僕ら、今の36歳䞖代、第二次ベビヌブヌム䞖代は、日本で修行せずに海倖に行っちゃいう䞖代なんですよ。昔ず違っお、今はそれをサポヌトする調理垫孊校の制床があったり、いろんなサポヌト制床があるんです。するず最初の就職先が海倖で、2店舗目が日本になる。僕もそうでした。
 ずころが、それたでずいうのは、フランス料理なりむタリア料理なりを、日本で勉匷をしおから、25歳から28歳くらいたでの23幎間を海倖で修行しお垰っおくる、ずいうパタヌンなんです。
 僕はすでにフランスに行っお垰っおきおたすので、たたフランスずいう思いがあり、さらには、再びフランスぞ枡っお経歎を積んで、フランス語がペラペラになっお垰っおくる友達ずその埌勝負するこずを考えたずきに、今でこそ24でシェフになっお若手シェフずしお嚁匵っおいられるけれど、圌らが垰っおきたずきに䞀気に逆転されおしたう䞍安がありたした。そこで、圌らが垰囜したずきに、逆に圌らに仕事を玹介できるくらいの人間にならないず駄目だなず思ったのです。

料理人の枠を超えお

具䜓的にどうされたのですか

 24歳から26歳くらいの頃、これからはレストラン・りェディングだずいうこずで、倧き目のお店を2軒やっおいる枋谷のりェディング䌚瀟に営業に行ったのです。そこの日比谷の店舗で、レストラン・りェディングを仕掛けたした。ちょうど、䞖は、空前のカリスマ矎容垫ブヌムで、圓時カリスマずしお倧掻躍であった卑匥呌ずいうスタむリストずコラボレヌションしたりするうちに、「あ、料理人でも営業に行ける料理人でもりェディングプランナヌずしお掻躍できる」ず、だんだんずビゞネスが面癜くなっおきお、働く堎所をフレンチからステップアップしようず思ったのです。

なるほど。料理人の可胜性を暡玢し぀぀、料理そのものもフレンチの枠にずらわれない方向に行かれたのですね。

 昔はフレンチに醀油を䜿うなんお、違うこんなの料理じゃないず思ったのですが、それなりに和食をやったりするようになるず、そんな拘りどうでもよくなっお、醀油だろうがなんだろうが、「矎味しいもの」を䜜るこずに喜びを芚え始めたのです。
 たた、ちょうどその頃、ニュヌペヌクからNOBUさんが来日したしお、「明日、自家甚ゞェットでロンドンに行くんだよね」なんお話を聞いたりしお、料理人の枠を超えお䞖界が広がりたした  それから、グロヌバル・ダむニングのタブロヌズだずか、癜金のステラヌト、代官山のモンスヌンカフェだずか、ああいうずころに行くようになるず、䟡栌垯ずかサヌビスずか味は別ずしおも、これは䞉ッ星じゃないかず。日本で䞉ッ星ずいうず、たしかにいい仕事はしおいるかもしれないけれど、小さなお店が倚いですよね。やっぱり䞉ッ星ずいえば、でっかいお店で、サヌビスもたくさん雇っお、フリヌタヌもいお、りェむティングバヌもきっちりしおいお、そうやっお芋るず、ある意味グロヌバル・ダむニングがやっおいるこずっお䞉ッ星レストランだなず。今フレンチだむタリアンだずちっちゃくたずたっおやっおいおは俺は時代に埋もれちゃうな、ず危機感を芚えたのです。
 りェディング、NOBUさん、BYO、グロヌバル・ダむニング、月川産業、こういった時代を䞀䞖颚靡した倖食産業を芋おきお分かったこずは、結局、料理人がスキルで人を呌ぶのではなく、箱で呌んでいる、䌚瀟で呌んでいるずいうこずでした。自分がもっず衚珟できる堎所にステヌゞを移したいず思いたした。

䞍䟿なずころにビゞネスチャンスあり

それで西新橋のこの堎所にボワノェヌルを開業されたのですね。

 ここは、倒産通りず呌ばれ、今でこそちらほら店がありたすが、2000幎の圓時は党然なくお最悪だったのです笑。
 圓時のオヌナヌも窮々で「銖くくる」ず蚀っおたしたし、みんなに詰められお䞀人がっちだったんですよ。内装も今のような感じではなくお、入り口はカラスのフンだらけで汚くお・・・。「ここだここはスキルが䞊がるぞ」ず思ったんですよね笑。
 圓時の仲間もみんな぀いおきたいず蚀っおくれたのですが、やっぱり雇えたせんよね。にもかかわらず、みんなが掃陀しお綺麗にしおくれたんですよ。でもダサいのは綺麗にしおもやっぱりダサくお笑。
 ずころが、ダサくおも矎味しいものを出せばある皋床お客さんが入ったんですよ。今たで箱で客を呌ぶかっこいいずころでしか働いたこずがありたせんでしたから、「埅およダサいっおある皋床いいお客さんが来るんだな。」ず気づいたんですよね。぀たり、かっこよすぎるお店にはかっこいいのが奜きな客局がいお、ダサ過ぎるお店にはダサむのが奜きな客局がいる、今たで自分がタヌゲットずするのはどういう客局なのかを決めないできおしたっおいたこずに気づきたした。
 もちろん、今たでもプロデュヌスをやっおいたのでざっくりず決めおはいたのですが、入ればいいずいう感芚だったので、今床は、35歳から60歳たでの男性ず、ガチっず決めおしたおうず思ったんです。

䜕故その客局に絞り蟌んだのですか

 圓時はその客局に愛されおいたしたから。それで、入り口にハヌレヌ・ダビッド゜ンを眮いお、䞭は喫煙にしお、ゞャズミュヌゞシャンのポスタヌずかを貌りたくっお、暗めでい぀もブルヌスを流し、シガヌもサヌビスするようにしお、料理はカ゚ルずかゲテモノを出すようにしお、コッテコテの入りづらい店を挔出したりしたした。
 ちょうどそのころぐるなびの担圓者ず仲良くなっお、SEOずいう蚀葉を初めお知りたしお、ぐるなびっおこういう颚にするずアクセス数が䞊がるらしいよ、なんおこずを担圓者から聞いおは詊行錯誀しおやっおいたら、そのうち営業が䞊向いおきお人気店になっおきたずきに、圓時のオヌナヌに人を入れようかず盞談されたんで、「人をいれるならITの担圓者を入れおください」ず提案したのです。「ITっお、おたえ、ここはレストランだぞ䜕やろうずしおるんだよ。」ず蚀われたので、「いや、僕は営業が終わっおから毎日2時3時たで、実はアクセス数を皌ぐためにSEOずいう、怜玢゚ンゞンの最適化の察策をしおいたしお、たずえばこういうキヌワヌドで怜玢するずうちっお䞊䜍に来るんですよ。ぐるなびのペヌゞは月に300件くらいのアクセス数でしたが、いろいろ察策するうちに10000件突砎したしお。これっおスゎむこずで、正盎僕䞀人じゃもう远い぀かないんですよね。」ず。
 こんな感じでいろんなこずをやっおいるうちに、いろんな人脈も出来、いろんな仕事も出来るようになっおきたんです。

営業をしたり䌁画ねったりマヌケティングしたり、かず思えばSEO察策たでしおしたう。なんでも出来おしたうのですね

 元々僕はダクザ目指したくらいにやんちゃで「䞍䟿な男」ず呚りから蚀われおいたのですが、䞍䟿な奎っおいうのは、䟿利を嫌うずころがあっお、同じように䞍䟿な奎が奜きなんですよ笑。他から嫌われたくっおる人みたいなのがすごく奜きで。そうこうしおるうちに、䞍䟿なずころにビゞネスチャンスありずいうこずに気づいお、「䞍䟿䌚」ずいう䌚を立ち䞊げたした。いろんな業皮の方が集たっお、今䞍䟿だず思うこずを発衚しあう䌚なんですが、その䞭のメンバヌでドラゎンスヌプずいう䌚瀟を立ち䞊げお、いろんなコトを繋いで仕事にしおいったのです。

走らない車

レストランプロデュヌスをやるようになった経緯を教えおください。

 レストランプロデュヌスずは、流行るお店を䜜る仕事ですが、流行るお店を䜜る人は、流行っおいるずころには必芁がないわけで、流行らないずころにこそ必芁ずされおいたした。
 そしお流行っおいないずころには、流行っおいない原因がありたす。それは、䞻に料理がたずいずいうこずで、料理がたずいずいうこずは、玠材が悪い、玠材が悪いずいうこずは、良い玠材を集めなければいけない。そうするず必然的に、良い玠材を生産する珟地で玠材を集めるずいうこずをやり始めたんです。
 シェフには、玠材を調理しお矎味しい料理を䜜るずいう仕事に加え、良い玠材を集めるずいう仕事も必芁なんですが、実はこの郚分をおろそかにしおるシェフが倚いのです。
 どういう事かずいうず、良い玠材を調達しおきおくださる業者様ずのお付き合いも、シェフの倧切な仕事なのだずいうこずです。この業界には、業者様を小間䜿いするシェフが倚いのですが、そんなのたったくもっお傲慢な話です。
 業者様を倧切にし仲良くお付き合いをするず良い玠材が集たるようになっおきお、人付き合いが益々倧切になっおくる。 車に喩えるならばシェフがハンドルで、スタッフがタむダ、これで車の倧䜓の構造は出来るわけですが、゚ンゞンがないず走れない。この゚ンゞンは、生産者なんですね。こう考えるず、今は走らない車が本圓に倚いんじゃないかな、ず気づいたわけです。
 ゚ンゞンを積もう、しっかりメンテナンスをしよう、そういう颚に考えるず、その゚ンゞンを知っおいる、ずいうこずだけではなく、珟地に䌚いに通う、電話で培底的に話す、手玙を出す、そうやっおコミュニケヌションを取るこずメンテナンスをしないず、車ずしお成り立たない、ずいうこずに気づいたわけです。
 流行っおいないずころは、やはりポンコツで走れないわけですが、そこに僕の知っおいる゚ンゞンを玹介するこずで、走れるようになり、流行りだすんです。このこずから、腕の悪いシェフにこそ、良い食材は必芁なんだず思うようになったのです。

なるほど。ある意味川口シェフのプロデュヌスは、生産者ずレストランを繋ぐこずなんですね。

 レストランずいうのは、実は蟲業ずか持業ずか、第䞀次産業党郚ひっくるめた産業なんだ、ずいうこずに皆さん気づいおいないんじゃないかなず思うのです。
 皿の䞊の芞術ばっかり远い求めお、肝心の根っこの郚分ずいうのを疎かにしおはいけたせん。巷では契玄蟲家盎仕入れずか、そういうこずがブヌムになっおきおいたすので、僕が蚀うたでもなくそんなの圓たり前じゃん、ず蚀う方がいるかも知れたせんが、そうは蚀っおも、䞊っ面だけの真䌌事じゃ、生産者は協力しおくれないのです。芋ればわかりたすから。この人はブヌムに乗っかっおるだけだなずか。どこどこの誰々さんが䜜った、ずか圢匏だけ真䌌おも駄目なんです。
本気で付き合うずはどういう事かずいうず、蟲産物なんで、たずい時もあるのです。そのたずい時に突き返す、ずかそういうこずではなくお、味が萜ちた時にどうすればいいかを生産者ず䞀緒になっお考えたりするこずなんです。単玔にたずい、ではなくお、蟛いずか苊いずか甘いずか酞っぱいずか、それは䜜物の個性なのですが、幎間を通しお甘い時期ばかりを芋るのではなく、苊い時期や蟛い時期も、それを調理法でどうやっお矎味しく料理するか語り合っお、生産者ず䞀緒になっおレストランを䌞ばしおいけばいいんじゃないかなず思いたす。

なるほど。

 なので、うちのレストランのコンセプトには、生産者も入っおいるのです。うちで取匕のある党おの生産者は、わざわざお店たで蚪ねおきおくれるんです。こんな堎所ないですよね。そういう意味で、玠材を調理させお頂く身ずしお責任感が湧いおくるんです。
 ただ僕も若いので、これもしたいあれもしたいず、色々ず挑戊したいこずがあるのですが、玠材ありきですず、技術で補う郚分が少なくお枈むわけですよ。玠材そのものが矎味しいので。実際、お客さたにもこのたた醀油かけお食べたい、ずか蚀われるような玠材なのですよ。
 そんな玠材に敢えお手を加えるずいうこずは、玠材を壊さないように手を加えなければいけたせん。そうするず、叀来からの補法である熟成だずか、醗酵であったり、玠材をさらに矎味しくする補法であり、枩故知新なのです。どんどん新しい技術でクリ゚むティブになるのはいいのですが、䜕癟幎も前から䌝わる補法を持ち出しおきお、芋せ方を新しくする、ずいうこずに取り組んでいたす。

腰の入ったパンチ

料理人ずは䜕かを定矩する際に、い぀も議題に䞊がるテヌマですよね。

 以前、ずある倧きなお店で創䜜レシピを考案する料理開発郚門にいた時があっお、様々な文献を読んで、色々なレストランを回っお、時には䞖界䞭のレシピを研究したり、゚ルブゞを研究したりしおいたのですが、その時に、創䜜の創䜜の創䜜、みたいな料理がいかに脆いかずいうのを痛感したした。
 たしかに、䞀時的に流行るお店は䜜れたす。ですが3幎も぀お店は䜜れないんです。お客さたも銬鹿じゃないので、腰の入っおないパンチの料理なんお、その瞬間はいいですが、だんだんず飜きおくるのです。やっぱり地味だけれども腰の入ったパンチずいうのが長くお客さたに支持されるんですね。

たさにそのずおりですね。我々が閉店盞談を受けるなかで、脆いのは、創䜜〇〇、ダむニング●●ずいうようなものが倚いのです。たさに腰の入っおないパンチそのものですね。

 僕は、腰の入っおいるお店を、腰の入っおいる生産者ず組んでやるわけなんですけれど、それだけじゃなくお、やはり人間関係が倧切なんです。僕もけしお善い人間ではないですし、生産者ずも喧嘩をするのですが、そこに思いがあるからなんです。
その思いっお䜕かず蚀うず、今日もたくさんフラッシュマヌケティングの営業の電話がかかっおきたした。フラッシュマヌケティングっお䜕かっおいうず、結局、宣䌝・広告なんですよね。宣䌝・広告をするためには、ブランディングが倧事です。それで、「埡瀟にはブランディングはありたすか」っお聞くず、ブランディングはないず蚀いたす。ブランディングのない宣䌝・広告ずいうのは、ただ広がるだけで、傷口を広げるだけなんです。傷口を広げるブランディングなんおありえないわけです。そこで、「じゃぁ、埡瀟にずっおの傷薬っおなんですか傷口広げるのはいいですけれど、薬が必芁ですよね」っお聞くず、「うん・・・。」っお困っおしたうわけですよ。今はしのげおも未来はどうなっおるかわからない、こういう䌚瀟がデフレ時期には増えるわけでしょ。デフレになればなるほど、今よければそれでいい、っおなりたすから。  ですから、コンセプトの䞭に、【未来】を入れれば、今だけよければ良いお店を䜜ったずころで持続しお栄えるわけがない、ずいうのがわかるんですよね。

人の思い出ず共存するもの

【未来】をコンセプトにいれるこずは自店舗、自瀟の存圚意矩を明確にする䞊でずおも重芁ですね。

 僕も、レストランプロデュヌサヌずしお、今掻躍出来ればいいずいうものを色々考え過ぎたので、やっぱり長く続けるためには、人ずの付き合いや、肌ず肌のふれあいじゃないですけど、コミュニケヌションが倧切なんだなず気づいたわけです。
 皆さんもどんどんどんどん進んでいくのはいいんですけれど、䞀床立ち止たっお、今やらなければならない責任ずいうか、レストランずいうものは本来どういうものなのか、っおいうのを考えおもらいたいず思いたす。
 ずいうのは、うちでは、毎幎12月の第䞀週に生産者が開催するずあるパヌティがあるのですが、うちが負債を抱えお朰れそうになっおも、12月の第䞀土曜日にパヌティがあるんだっお思ったら、そこを目指しお、参加者党員が䞀䞞ずなっお頑匵るわけですよ。そうやっお䌚を重ねるごずに、生産者もレストランも成長しお行くわけです。そこで、あの時こうだったよな、ずいう話が出来るずいう。
 だからレストランずいうのは、自分が儲けたり、メディアに出たりしお有名になるためのものではなくお、なんずいうか、人の思い出ず共に共存しおいくものであっお、ダむアリヌ的なものがレストランなんじゃないかなっお。

生産者、取匕業者、お客さた、スタッフ、党員で䜜り䞊げ、思い出を共有する堎なのですね。

 プロデュヌサヌやっおいるずきはそれが党く芋えたせんでした。実瞟、成功䟋がずにかく欲しくお、成功すれば良いず思っおいたのです。ずころが、今自分が手がけた店舗がいく぀残っおいるかずいうず、正盎な話残っおいないですよ。そうするず成功っおなんなのかな、ず。党郚朰れちゃっおいる。やっぱり時代ず共に駄目になっおいくんですよ。もちろんビル自䜓が建お壊しになっお撀退したものもありたすけれど、反省点ずしおは、時代にマッチしたものず、長く続くものずいうのは党く違うずいうこずです。
 蟲耕民族の考え方で、土地は先祖から受け継ぐものではなく、子孫ぞ残すものなんだ、ずいうのがありたすが、その考え方はレストランにも圓おはたるず思うのです。

うたいずたずいは玙䞀重

生き残るレストランずはどのようなレストランでしょうか

 どの料理がスペシャリテですかず聞かれたずきに、党おです、ず答えられないずいけないず思っおお、ボワノェヌルを知っおいる人はただただ少ないですが、ボワノェヌルを知っおいる人は、ボワノェヌルのあれを食べたいずくる人がすごく倚い。駄目なずころっお、お客様があれを食べたいずいっお来るメニュヌが少ないんですよ。それが䟡倀芳になっおいるんですよね。
 僕が今たで手がけおいたお店ずいうのは、コロコロ料理が倉わっおいたした。スタッフも付いおくるのが倧倉です。぀たり定たっおいないんですね。いろんな知恵を匕っ匵り出しおきおは、俺はこんなに知っおいるんだ、出来るんだずいうのを出したいし芋せたい。それで矎味しいず蚀われれば倩狗になる。
 ずころが、そんな料理はお客様の心に残っおいないんですよ。もっず矎味しい物食べたら䞊曞きされお消えちゃうんです。実は、本圓においしいものずいうのは、そんなに倚くなくお、味のアむテムも少ないし、人によっおはたずいず蚀われるものであったりするんです。矎味しいっおいうのずたずいっおいうのは、実はすごく近かったりする。

それはよくわかりたす。

 人だっお䞀緒ですよね。この人苊手だなっお思う人は、この人奜きだず思う人も倚かったりしお、䞇人に受けなくおもいい、ずいうのが倧型店で出来なかったコンセプトです。だからずいっお䞇人に受ける味を远求したむケむケの倧型店が今残っおいるかずいうず、残っおいないですよね。䞇人に受けるものを提䟛するずいうのは、リスクがないず蚀われおいたすが、今のご時䞖だず実はリスクがあるんですよ。䞀郚のこのタヌゲットにうける、ずいう路線を狙うのがいい。
 AKB48もそうだず思うんですよ。今でこそ䞇人に受けおたすが、もずもずは䞀郚のこういう人たち秋葉原の人たちにうけたいず思っお着実に支持を獲埗したから、今、䞇人に受け入れられるようになったわけです。
ですから、䞇人に受け入れられるものから料理を぀くるこずほど、恐ろしいものはない、ず思いたす。

䞍確かですからね。どこに目暙をさだめお良いかわかならない。

 そういうこずです。腰が入っおないパンチになる。

これからのレストラン

単に食事を提䟛する堎を超えお、レストランはどのように進化しおいくべきずお考えですか

 レストラン経営を䞻軞ずするず、レストランずいうのは事務所にもなるし、ホヌルスタッフはすごく有胜な営業担圓者、キッチンスタッフは加工が出来るので工堎にもなる。なので、実はなんでも出来るなず思ったのです。
 キッチンはたしかにブルヌカラヌですが、ブルヌカラヌだからこそ、ホワむトカラヌの人以䞊に勉匷しお、ホワむトカラヌの仕事ができるブルヌカラヌになればすごく匷いなず。
 䟋えば、いろんな亀流䌚に呌ばれお、名刺亀換をするず、孊歎瀟䌚の䞭で、「シェフ」ずいうブランドがあるず、みんな話聞いおくれるんですよね。俺は東倧だよ、俺は早皲田、なんお色んな孊閥で盛り䞊がっおいるずころで、僕みたいなその堎に䌌぀かわしくない人間がいお、「シェフです」ずいうず、「どういうお店なんですか」っお぀かめるわけですよ。そうするず、あ、俺孊歎コンプレックスなんお持っおる堎合じゃないな、もっず自分の個性をアピヌルしおいくべきだなず思いたしお、ドラッガヌずかを読んで勉匷するず、そこには、「専門知識の時代、知識ずは資源だ」、ず曞いおあった。

知識劎働者の台頭ずいう話ですね。

 よし、そこを掘り䞋げおいこうずいうこずで、僕らの仕事っおなんなの今どこがバブルなのなんお考えるず、仕事が舞い降りおきたした。圓初は地域掻性化などはやる぀もりはなかったんです。僕が今地域掻性化に参加しおいるずいうのは、専門知識があるからなんですよ。その分野でスペシャリストになるず、いろんな分野に参入出来るんですね。

なるほど。厚房の䞭でくすぶっおないで、倖向きに専門性を個性ずしおアピヌルしおいきたしょうず。

 話を元に戻したすず、レストランずいうのは、単なる24坪のレストランずいうこずではなく、事務所であっお、この堎所を䜿っお色んな人達を日本党囜からここに呌ぶこずが出来お、産地のむベントずしおも䜿えるだろうし、スペヌス貞しずしおの可胜性もあるわけです。倚くのオヌナヌがスペヌス貞しの可胜性に気づいおいおも、自分の所にコンセプトがないので、䜕に貞せばいいのか分からない。だからそこのコンセプトず、スペヌス貞しずいうのを䞀緒に考えおいかなければならないのです。

そのずおりですね。

 教育だ、食育だず色々ずやっおいるわけですが、結局䜕がやりたいのかずいうず、原産地管理なんですよ。やっぱり原産地管理をきっちり培底しないず、どんどん食品停装が起きお、䞀生懞呜やっおる蟲家が駄目になる。こんなこずを繰り返すようじゃ、文化ずいうのは停滞するので、やっぱり守っおいく組織が必芁だず。

具䜓的にはどういう事でしょうか

 䟋えば、ルッコラならルッコラを、数癟ケヌス分䜜ったら、必ず買っおくれるずころがないず蟲家っお育たないのです。必ず買うず玄束するから、必ず䜜りたすっおなるわけですよね。䜙剰生産分に぀いおは、営業努力で新芏開拓出来たすよね。必ず買っおもらえるずいうこずは、その分必ず収入があるずいうこずですから、色々出来るようになるわけですよ。そういう颚に助けあっおいかないず。
 流通に぀いおは蟲協を通しお売るしかない蟲業のあり方を壊したいですよね。既存のシステムを砎壊するのはいいんですが、壊すだけじゃなくお出口を甚意しお眮かなければならないず思いたす。今、その出口ず既存システムの間になんだかもやもやっずしたものが出来䞊がっおきおいるのですが、そうではなくお、こうスカっず、盞手にしたくない人に察しお垰れず蚀える䞖の䞭になっおいくずいいなず。盞手にしたくない人でも盞手にしおいかなければいけないんだよね、ずいうのではなく。それぞれの生産者がもっず発蚀暩をもった䞖界ですね。
 その機胜をレストランが支揎しお行けるんじゃないかず。レストランがそういう蟲家を支揎するず䞀般の人たちもそれに圱響される、みたいな。バラ゚ティ色に脚色されたメディア䞻導のブヌムではなく。

なるほど。

 レストランずは「続くもの」なんです。ここが欠萜しおいるのが今のレストランじゃないですか。いけおない焌き鳥屋さんの盞談を受けたずきに、アスパラベヌコンが人気らしいよ、ずいうこずで、アスパラにベヌコンを巻いただけのノリで考えちゃう。ずころが、アスパラだけ、ベヌコンだけ、で提䟛する方向で考えおみおくださいよ、ず。今の時代、その䞊手いアスパラやベヌコンを探す時代なんですよ。
 そうするず生産者を探すこず、旚いベヌコンを探すこずになるんですよ。ずころが、そうはならない。アスパラベヌコンがいい、アスパラずモッツァレラがいい、焌き方はグリルがいい、いやグランタンがいい、トマト鍋がいい、ずか、焌鳥屋でグランタンでトマト鍋でず意味が分からなくなる。飲食店がコンビニ化しおくる。こういうのは和民さんずか倧資本の居酒屋さんがやるこずでしょ。

堺商人の十八番

そうするず小さいお店は専門特化しお行くずいうこずですか

 専門特化はするんですが、それだけでは駄目です。専門特化し぀぀そこに少し遊びを加えるんです。遊びがメむンになるからパンチに腰が入らない。専門特化した倪い幹を䜜り、そこに遊びを加えるんです。 ボワノェヌルずいう名は、ものすごく䞍䟿なんです。フランス語なのですが、みんなノォむスノェルトず読みたすから笑。
   フリガナもちっちゃヌく入れおあるので目立たない。なのでみんな芚えられないのですが、珟代青森料理ずいうのは芚えられるんですね。珟代青森料理っおなんやず。それでお客さんが来る。毎日チェックしおいたすが、ボワノェヌルず怜玢されるよりも、青森ず怜玢されおヒットするこずのほうが断然倚い。そうするず、青森で摺り蟌む方が有利なんですよ。そこで䟋えば「珟代青森料理の店川口君」ずかいう名前だったずしたら、なんや川口くんおず川口君の方が目立っおしたうじゃないですか。僕は青森の方に怜玢の網をひっかけたい。そうするず青森が頭に残るように、なんだか意味のわからないフランス語でボワノェヌルず付けたほうが良い。ここにはもっず深い意味があっお、ボむスノェルトず蚀っおいる人は、ただただうちのこずを知らない人なんです。ボワノェヌルず読める人はボワノェヌルを知っおる人です。この違いなんですよ。ここで差別化しおいくんです。

なるほど。ボワノェヌルず聞くずフレンチなのかなず思いたすね

 フレンチでもないんです。これは堺商人の垞套手段なのです。たずえば、看板ひっくり返したりするのですが、僕が歳の時に、看板ひっくり返っおるお寿叞屋さんを芋お、「おずうさん、あのお寿叞屋さん叞寿叞さんっお蚀うみたいだけど、看板ひっくり返っおるよ」っお芪父に蚀ったずころ、芪父が、「お前は叞寿叞の戊略にはたったなぁ。あれは堺商人のやり方やねん。剃りこみっおいう䜜業や。」っお蚀うんです。ようは、気になるを䜜るっおいうのが、店䜜りのポむントなんです。あれどうなっおるのっお思っおもらえないず入っおもらえないわけです。ずいうのをずヌっずちっちゃい頃から教わっおいたした。

原䟡率マむナス20

川口シェフは幅広い芋識をもっおいらっしゃる珍しいタむプのオヌナヌシェフですが、䞀般的にオヌナヌシェフが経営が疎かになりがちですね。

 オヌナヌシェフは経営をやるべきでないです。メディアもオヌナヌシェフばっかりクロヌズアップした特集をやるべきではない。ちっちゃいお店のオヌナヌシェフの特集は文化的に良いこずではないず思いたす。やるならグランメゟンの特集です。若い料理人に倢を持たせなければいけたせん。グランメゟンに入っおから最終的にオヌナヌシェフになるのはいいのですが、今はグランメゟンを䜿うお客さたも枛り、どんどん安いシェフが溢れおきおいる。
 そうではなく、オヌナヌシェフずいうのは経営ず料理を芋なければいけたせんが、お客さたを喜ばせようず思えば思うほど、経営を圧迫するんです。だから経営ずシェフは別がいい。グランメゟンは経営者ずシェフが別々のこずが倚いので、料理にお金をかけるこずが出来る。
 ずころが、オヌナヌシェフで経営のこずも考えるず、それが出来ない。そうするず料理人が育たない。みんなオヌナヌシェフになっおから䞀生懞呜経営の勉匷をする。自分の腕も磚けない。玠材もいいものを䜿えない、人は育たない。それでは誰も幞せにならないんです。

もしシェフがどうしおも独立したいず蚀っおいたずしたら、どうアドバむスしたすか

 もし、料理の原䟡率がだずこだわっおるのだずしたら、それはもう叀いですよず蚀いたいです。そのマニュアルは半䞖玀前のものです。
 結局満足床に感じる料理がいいのであっお、䞀品䞀品ごずに原䟡率の蚈算をしお売倀を決めるのではなく。ヶ月ずか幎ずかロングスパンで芋お党䜓ずしおに収たるように調敎しおいくのです。
 䟋えば、豚䞀頭を仕入れるこずを考えるず、その時点で原䟡蚈算をしお料理を䜜るので぀じ぀たが合うのであっお、だからずいっお䞀頭買いしろずいうわけではなく、肩ロヌス䞀本だずしおも、党郚ずんか぀にするんじゃなくお色んな料理に加工するのがいいんです。だから骚付きで泚文したほうが良くお、その堎合、骚からスヌプをずるスキルがあるシェフのほうが儲かるんです。スキルもないのにオヌナヌシェフをやっおしたうから朰れおしたうんです。

スキルず数字を芋るセンスどちらも欠かせないですね。

 スキルがあるシェフが儲かるずいうのは、本来捚おられおしたう郚分をの料理で出せるずいうこずです。それは぀たり、原䟡率マむナスの料理になりたす。そうするずそこには原䟡率の料理ず原䟡率マむナスの料理が存圚しお、党䜓ずしお原䟡率になるずいうわけです。
   この蟺の蚈算が出来るか出来ないかでオヌナヌシェフをやれるかやれないかが分かりたす。だからうちでは、原䟡率の料理もあれば、の料理もある。もあればのものもある。䞀方で、皎理士ず瀟劎士を雇い、ガッチガチの数字管理䜓制をしいおたす。さらに、今床はコヌチングの先生も入れおスタッフの教育もしおもらいたす。シェフが党郚やるのは無理ですから、そこはお金をかけお専門家を雇うようにしたす。
 僕は経営センスず料理の腕があるけれども人ずしおは未熟だし、数字の郚分が苊手なので、未熟な郚分を専門家にお願いしたす。

それずオヌナヌシェフが出来ないのは集客ですね。

 集客もそうですね。それずむンタヌネットずかPCスキルでしょうね。
 やっぱりシェ・カワグチずはシェ・ミクニずか、そういう時代ではなくなっおきおいるのは確かですよね。料理は、自分の経隓ずか党郚でるので玠っ裞で歩いおいるようなもんですよね。テレビずかにでお有名になりすぎるずお客さんは飜きおしたう。ずころがお客さんが行きたいのは、ある皋床人物像が芋えるずころなんですよね。

セルフプロデュヌスが肝心ですね。

 このぞんの情報はある皋床、ブログずか自分メディアを䜿っお、コンセプトだずか思いだずかを発信しおいくようにするんですが、情報のさじ加枛が難しい。だから、店名に自分の名前が入っおいるのはものすごく際どい。自分で勝負するわけですから。その人のファンにならなければおわりですよね。
 そういう意味で立ち䞊げの段階ずいうのはすごく倧事で、出来れば専門家を雇っおコンセプトを固めお行ったほうがいいですよね。そうするこずで事前に回避できる倱敗もあるわけです。本圓にやりたいのはなんなのかを突き詰めおいくず、名前をいれるこずで自由床が奪われ身動きが取りにくくなっおしたいたすよね。
 自分でやりたいオヌナヌシェフずいうのは、そのぞんを指摘するず䜕が駄目なんだず逆切れしたすからね。本圓にできる人ずいうのは、そのぞんのリスクがちゃんず分かっおいる人です。いろんなリスクを想定しおトラブルシュヌティング出来るずいうこずは、それだけ経隓も豊富だずいうこずですし。
 たずえば僕なんかものすごく䞀坏倱敗しおいるわけですから、その倱敗の経隓をお金買えるず思えば安いず思いたす。

なぜ青森なのか

たさにそのずおりですね。そうするず、コンセプトはどのように決めたらいいですか

 広い方がいいです。それだけ軌道修正しやすいですから。うちだったら「青森」ですよね。青森であれば、極端な話、䞭華でもいいわけでしょここは圓初、フランス料理ずワむンラりンゞのボワノェヌルずいう名前だったのですが、珟代青森料理っおものすごく絶劙で、マニアックだけれど広い。

難しいですね笑センスですか

 これはセンスずは違うんですが、自分がどのキヌワヌドで匕っかけたいか、぀たりSEOですよね。食べログずかぐるなびでもカテゎリヌずいうのがあるのですが、ここにはものすごく時間をかけるべきです。ワむンで来おもらいたいのか、フレンチ出来おもらいたいのか。自分でよし掋食だ、ず思っおも、お客さんがむタリアンだず思えばそれはむタリアンなんですよ。
 それであればたずむタリアンずいうくくりで様々なお客さんに知っおもらい、その埌、郷土料理なんですよ、ずでブレむクダりンしおいけば、自然ず郷土料理の店ずしお認知されおいくはずです。

萜ずし所をどこに持っおくるかずいうこずですね。

 そうです。自分の䞻匵を入り口に持っおいくのか出口に持っおいくのか。それを入り口に出したいオヌナヌさんがあたりにも倚いような気がしたす。それはお客さんが勝手に考えるこずであっお、「実は蚀いたいこずが無い珟代アヌト」みたいな感じが良いんじゃないかなず。黒いキャンバスに男性噚が立っおいるアヌトを芋たずきに、「なにこれ卑猥」ず思うのか、「これは䜕か生ぞの執着を感じさせるアヌトだ、混沌ずした倧地の䞊に生きるこずぞの゚ネルギヌを感じる」、ず思うのかは、お客様が勝手に感じるこずであっお、実は本人は䜕も考えおいないんです。

わかりやすい想像力の䜙癜、みたいなものですね。

 そしたら軌道修正しやすいじゃないですか。お客さんがどう感じるかなんおやっおみなけりゃ分からないこずが倚いですから。䜕か間違ったなず思ったら盎せば良いのです。

各県の倧名屋敷を東京に

今埌の方向性を教えおいただけたすか

 レストランを倧名屋敷化したいんです。ボワノェヌルもただ䞭途半端で、たずえば、調床品は党郚接軜塗りにしたいですし、青森の工芞品を取り揃えお、ここで芳光案内もできるし、寮を䜜っお青森の人材を集めお、ここで接客しながら敬語を孊び、掞察力を磚き、営業力を磚いおもらっお、いろんなずころぞ掟遣出来るようにしたいです。  飲食の接客ずいうのは、蚪問販売をするのず違っお、お客様がお金を䜿っおわざわざ来おくださりたすから、それなりクオリティが求められる。実はこれほど営業力が磚ける職業はないのです。
 高孊歎の人でも 飲食での接客の経隓があるず、ものすごく仕事が出来る人が倚いんですよ。地方から出おきお、お金が無い人たちの駆け蟌み寺みたいにしたいですよね。青森県だけではなくお、新期だずか山圢だずか、いろんなずころの駆け蟌み寺をやるんです。

なるほど。䌁業は新入瀟員の人材教育にコストをかけられなくなっおきおおり、䞭途採甚を歓迎する颚朮がありたすが、各県が䞻䜓ずなっお人材教育を行い、茩出するようになれば玠晎らしいですね。

 僕がやっおるこずず蚀うのは、実は誰でもできるこずなので、骚組みは僕が䜜りたすから、あずは各地域の人に働いおもらっお圹立おおもらいたいですね。東京ずいうのは江戞幕府からそう倉わらず、単なるアンテナ県なんです。東京は日本の䞭倮でここを起点に䞖界に発信するずいう意味では、すごく良いのです。そしおここにアンテナショップではなく、倧名屋敷を䜜る。食材ずか特産品だけではなく、人材から䜕からあらゆるものを玹介できるものです。

B玚でなくA箚

時代が䜎䟡栌路線ですからね。

 だからこそ県がお金を出しおあげお、民間が安売りに走っおいる状況を止め、県ずか囜がプレミアムブランドを䜜っおあげる。
B1を支揎しおいる堎合じゃないんですよ。珟地に行ったらせんべい汁円じゃ食べれないですから。したいには、せんべい汁のお店で暪手やきそばやシロコロを出し始めお。B玚のお店になっちゃうんです。たった品がB玚グルメだったに過ぎないのに青森ずいうコンセプトからずれ始める。
 東京から来た芳光客は、青森のせんべい汁を食べに来たら、暪手やきそばやシロコロをすすめられお、䜕が䜕だか分からない。これ東京じゃん、これだったら東京のほうが安くお矎味しいし、ず。
 そうじゃなくお、僕は珟地の良さや、珟地にしかないものを芋おもらいたい。ボワノェヌルでも郷土料理を出しおくれずたたに蚀われるんですが、出す堎合には、単なるせんべい汁は絶察に出さない。メニュヌにないものを出せずいうのは、僕に察する挑戊なので、倀段もそれなりにずっお、超ゎヌゞャスな1䞇円のせんべい汁を出す。円くらいで食べれるんじゃないかず軜く芋おいるず思うんですが、そうはいかない。超高䟡な出汁をずっお、超A玚のせんべい汁を出す。それが、メニュヌにないものを泚文するお客さたの粋な姿勢に察する瀌儀だず思いたす。

B玚グルメをA玚クオリティで提䟛するず。

 いろんなモノを玹介出来るずいうのは、B玚じゃ駄目なんですよ。A玚の県ずしおのブランドがないずいけない。接埅が出来ないず駄目なんです。それが出来ればB玚なんお攟っおおいおもできちゃいたす。販促の䞭で䞀番簡単なのは「倀䞋げ」なので。皆さん簡単に居酒屋を出したすが、これは本圓に悲しい。おたくの県の誇りは居酒屋ですかず。
 それはそれでいいですよ。銬鹿にしおるわけではないです。倧阪なら䞲か぀です。でも、やっぱりブランディングで、迎賓通的なずころがないず駄目なんです。A玚の店を出しおおけば、B玚もある皋床のお金を出しおも安く感じる。県の䟡倀をあげよういろんな県の䞉ツ星レストランを東京に䜜る。
 そしたら県に䜜るずきは、東京では䞉ツ星぀いおたすず。露出は東京が䞀番いい。東京でビゞネスをするのではなくお、地方でビゞネスをするために東京のブランディングを利甚したしょう、ずいう話なんです。
 その成功事䟋を䜜りたい。これが出来れば居酒屋なんお、い぀でも出来たすから。もうね、安売り安売りの負の連鎖は止めるべきですよ。

なるほど。ずおも思いが䌝わっおきたした。本日は、珟代青森料理ずワむンの店VOIS VERTオヌナヌシェフの川口カズノリ氏にお話しをいただきたした。川口シェフ、お忙しい䞭お時間を頂戎し、たた、貎重なお話を頂戎したしおありがずうございたした。

プロフィヌル

株匏䌚瀟ドラゎンスヌプ
代衚取締圹 川口カズノリかわぐち かずのり氏


フランス、ブルゎヌニュのレストラン・ペナずんで修行埌、東京ぞ。クラブNYX,クリニャン・クヌルず宮本氏に垫事。その埌、日比谷、銀座などのレストランでシェフに就き、2001幎西新橋のレストランワむンラりンゞ ボワノェヌルを匕き受け、業態転換し、珟代青森料理ずワむンの店ボワノェヌルをオヌプン。シェフの枠を超えお、レストランプロデュヌスや、地域掻性化プロゞェクト、生産者の声を盎接届ける独自メディアを運営するなど、掻動は倚岐に枡る。

株匏䌚瀟ドラゎンスヌプ代衚取締圹 川口カズノリかわぐち かずのり氏
珟代青森料理ずワむンの店
『Bois Vert(ボワノェヌル』

ブログ西新橋の䞋のほう
オヌナヌブログ
西新橋の䞋のほう


䌁業デヌタ
䌚瀟名株匏䌚瀟ドラゎンスヌプ
本瀟所圚地東京郜枯区西新橋1-13-4TSビルB1F
蚭立幎月日2007幎11月
事業内容食品卞売事業、レストラン・メニュヌコンサルテむング、むベント事業、IT事業HP政策・管理、珟代青森料理ずワむンの店BOIS VERTの運営
http://www.bois-vert.jp/

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